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2007. 09. 20  
■タイトル■
死ねない私

■あらすじ■
日々なんの希望も見いだせず、長年に渡って引きこもっている岩崎水奈(いわさきみずな)は、自殺を決意する。しかし何度自殺をしようとしても、踏み切ることができない。原因を探ってゆくうちに、自分にはまだやり残したことがあることに気づく。

☆本編☆
『こんなことで嫌になって辞めるのなら、どこに行っても通用しないよ』
 耳にこびりついた言葉が、心の中に繰り返し響いた。
 私は鋭い刃先で手首を突っつく。
 最初はチクチクするだけだったものが、やがてはっきりとした痛みに変わる。
 刃先が離れると、血管の上の肌にぷうっと赤いふくらみが、いくつもできた。
 こんな私、いやこんな奴、死んでしまえばいい。傷つけるたびに血を見るたびに、そんな気持ちになった。
 自分に対する憎しみが強くなり、興奮してくる。
 今度は突くのを止めて、刃先をぐっと手首に押しつけた。鋭い痛みを断続的に感じる。
 もっと強く突き刺して、そのまま引き裂いてしまえば、脈が切断され大量出血するだろう。
 そして傷ついたその腕を浴槽に沈めていれば、出血が止まらなくなって死に至る。
 もう死のう。私は明確にそう思った。
 だけど……。
「……」
 ふっと気持ちが萎えて、手首からカッターが離れた。
 机の上の漫画用原稿用紙が、血液で汚れないように、ティッシュで手首と刃先を拭った。
 なぜなのかは分からない。死のうと思って手に力を込めた途端、死ぬことと関係のないつまらないことが、脳裏を過ぎったのだ。
 自殺を図るにしてはちゃちな方法だから、雑念が生まれたのだろうか。
 きっとそうだと思う。

 翌日、珍しく朝八時に目が覚めた。
 昨日傷つけた手首は、血が黒く固まってかさぶたになっていた。
「あら水奈、ごはん食べるの?」
 ダイニング入ってきた私に気づいて、お母さんが意外そうな顔をした。
 いつもは昼頃起きるからだろう。私はコクリと頷いて椅子に座った。
「また傷つけてしまったの?」
 目玉焼きとごはんを私の前に置くと、お母さんは急に沈んだ声を出した。
 手首の傷を悲しそうに見つめていた。
 私は俯いたまま箸を取り何も答えなかった。傷つけた理由なんて話したくない。
「おい母さんお茶くれ」
「……っ!」
 ちょうど味噌汁に口をつけたとき、突然あの人がリビングに入ってきた。紺のスーツ姿のまま、ソファにドカッと座った。
 チラッとこちらの方を見たが、私はすぐに目を逸らした。
 とっくに会社に行ったと思っていたのに、どうしてまだ居るのよ。
 嫌悪感と拒否反応が同時にこみ上げ、味噌汁の味も分からなくなった。
「お父さんね、今日少し出勤時間遅くていいらしいのよ」
「そう……」
 聞いてもいないのに、今あの人が居る理由をお母さんが話した。
 恐らく私の顔を見て、不機嫌さに気づいたのだろう。いつもこんな感じだ。
 私が気分を損ねて、心の病が悪化しないか、それを気にしているのだ。
「母さんちょっと……」
 あの人がまたお母さんを呼んだ。そして声を潜めて話し始めた。
「大丈夫よ。水奈だってそのぐらいなら……」
 恐らく私がアルバイトを辞めたことについて、話しているのだと思う。
 どうせすぐに辞めるダメな人間だとか、そういうことを言っているに決まってるんだ。
 もうあの人とは四年間口を利いていない。
 『何が病気だ! お前は怠けてるだけだ!』
 全く学校へ行かなくなり、代わりに精神科へ通うようになった私を、あの人は何度も怒鳴りつけた。
 若い頃から倒れるまで働くがモットーのあの人には、心の病などというものはダメな人間の言い訳にしか、聞こえないのだろう。
 でも私が目の前で手首を切って以来、あの人は私に直接もの言ったりすることはなくなった。 きっと怖くなったんだと思う。こいつは死ぬかもしれない。いつかとんでもないことを、やらかすかもしれないと……。
 何にしても、怯えたようなあの人を見ると私は清々する。

『水奈キモーイ!』
『臭うから学校来ないでよバーカ』
 初めていじめに遭ったのは、中学二年のときだった。
 きっかけは制服が樟脳臭いとか、お下げ髪がダサイとか些細なことだった。でもそれはあっという間にエスカレートしていった。
 ある日遂に耐えかねて、お母さんの勧めで担任の先生に相談してみた。でも今度はチクったとかで、いじめは前にも増して酷くなった。
 私は鬱病になり学校へ行かなくなった。心の病の苦しみを、自分を傷つけることによって癒すようになっていた。
 進学することも就職することもなく、永遠と続く引きこもり生活。学校の代わりに通った精神科。手首には数え切れないほどの、切り傷の痕がある。
 苦しみながら絶望しながら、何とか普通になりたいと思って、最近初めてアルバイトに挑戦してみた。
 でも……。
『だいたい四年も何もしないでいたなんて、親に甘えてただけだろ……』
 ドジばかりで怒られて半月と持たなかった。
 自分のやりたい仕事ではなかった。何をしたらいいのか分からないのだ。
 どちらにしても、私のような病気持ちの人間が生きていけるほど、世の中は甘くないんだ。
 この世界にはやりたいことも、自分の居場所もない。
 散々苦しみ抜いた。もうたくさんだ、終わりにしたい。そう思っても罰は当たらないと思う。

 その夜。いつものようにあの人が寝室へ引き上げたあと、私は入れ替わりダイニングで夕食を取っていた。
 食器を洗い終えたお母さんが、お茶を持って私の向かいに座った。
「あのね明日からなんだけど、お父さんと旅行に行こうと思ってるの……」
「旅行?」
「うん。ちょっと遠いから泊まりにがけになるんだけど……」
 私は少し意外だなと思っていた。
 夫婦二人だけで出かけるのなんて、初めてのことだと思う。
 今までは私のことで手がかかっていたから、そんな余裕はなかったのだろうけど……。
「水奈の通院も週二回になったし、どんどん良くなってるようだから、安心して出かけられるかなと思って……」
「そうかな……」
 機嫌を取るような言い方をするお母さんに対して、私は不満げな声を漏らした。
 何が良くなっているだ。そんなはずはない。
 確かに精神科への通院は減ったけど、また手首を切ったし、それに今だって死のうと考えているんだ……。
 私がこんな状態でも、お母さんは楽しむことを考えているのか。
 心の中に寂しげな空気が漂い始め、胸がキリキリと痛み出した。
「いいかしら? 家のこと水奈一人でも大丈夫よね」
 何とかうんと言って欲しい。お母さんはそんな様子だった。
 だんだんいじけた気持ちになってきた。
 偶には旅行ぐらい行かないと、やっていけないよね。
 精神病の娘の親なんて……。
 別に同情が欲しい訳じゃない……。だけど私は寂しかった。
「分かった……別に食事だって適当にするから勝手に行って……」
「そうじゃあ安心して行ってくるわね」
 私はお母さんの希望通り頷いた。
 いい機会だ。今度こそ死のう。もっと確実な方法で……。
 嬉しそうに笑みを浮かべるお母さんの前で、私はそう心に決めていた。

 浅い眠りを繰り返した。夢を見たけど内容は覚えていない。
 起きてみるとすでに家の中には人気がなく、ダイニングテーブルの上に、朝ご飯と手紙が置いてあった。
『卵焼きと味噌汁は温めて下さい』
 スーパーのチラシの裏にそう書いてあった。他には何も書いてない。いつも置き手紙はこんな内容だ。
 お母さんやあの人は、私がこれから死のうとするなんて、全く想像していないだろう。
 楽しい旅行から帰ってきて、私の自殺の知らせを受けたら、どんな気持ちになるのだろうか? やっぱり泣いて悲しむのか? 家族に自殺者が出たことを隠すのに、必死になるのか? 互い罵り合って離婚して、そのまま家庭崩壊なのか……。
「そんなことどうでもいいか……」
 私は食事を手早く片付け、自分の部屋に戻った。
 遺書を書こうかと一度机に向かったが、書く気になれなかった。
 私が死ぬのなんて、今までのことを考えれば、大して珍しいことじゃない。
 学校でいじめられてひきこもりになって、何とか世の中に出てみようと思ったけど、すぐに挫折した。
 そんな人間が勝手に死んだからって、気にもとめないだろう。
 だから遺書なんて必要がないと思った。
 出ないと怪しまれるし、携帯電話も持って行こうか。
 そう思って腕を伸ばしたとき、隣に積んであったDVDに手がぶつかった。
「あっ……」
 プラスチックのパッケージが、バラバラと足下に散らばる。そのうちの一つを拾い上げた。
 『虹の向こうの街』私が中学生の頃、流行ったアニメ。
 この部屋でずっと一人だった私を、唯一慰めてくれたもの。
 私を夢の世界へ、何度も連れて行ってくれたもの……。
 自分も描いてみたいと思ったけど、そんなの現実味のない夢。
 現に投稿した漫画も、賞に入賞することはなかった。
 もういい。
 最初からダメなんだ。
 私なんてそもそも、世の中の基準に満たない人間なんだから……。
 私は崩れたDVDを元に戻して家を出た。

 最上階、十七階の踊り場。
 私は辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、アルミ製の柵の前まで行った。
「風……結構強いな……」
 地上に止めてある車も自転車も、現実味がないくらい小さく見える。
 ここから飛び降りれば間違いなく死ねる。
 ものすごいスピードで落下して、アスファルトに叩き付けられて即死だ。
「……っ」
 アルミの柵をつかむ手にグッと力を入れた。
 今足をかけたら、きっとそのまま向こうへ行ける。
 何となく分かる。勢いで行けると思う。
 だんだん周りの音が聞こえなくなってきた。
 私は行くんだ……もうすぐ行く……。
「あ……」
 白みかけた意識の中を、不意に何かが横切った。私はハッと我に返った。
 漫画のこと。
 机の上に置いたままにして来た、私の漫画ことだ。
 もう少しストーリーに凝って、絵を丁寧に描けば……。それらを満たせばいい評価になったんじゃないだろうか……。だけどそんなこと、いつも思ってることだし……。
 私はそこで思考を止めた。
 今の私には関係ないことだった。どうせその程度の心がけじゃ、プロになんかなれないんだし……。
 もう飛び降りようとする意志が薄れていた。
 公園で遊んでいる子供とそのお母さんの姿が、豆粒のように見える。
 飛び降り自殺といえば、偶然通りがかった人が、巻き添えになる事件がある。
 関係のない人を巻き込むのは良くない。
 万が一ということもある。だからここで死ぬのをやめるんだ。
 私は来た道を引き返し、自分にそう言い聞かせていた。

 マンションから歩いて十分。駅に着いた。
 休日のせいか家族連れとかカップルとかで、人は多かった。
 私はホームのベンチに座っていた。もちろん電車に乗って、どこかへ遊びに行こうと思ってるわけじゃない。
 ホームとは対照的に嘘のように静かな線路。
 私が電車に飛び込んだら、私の身体は車両の全面に当たって跳ね飛ばされ、全身を強く打って即死なのか。
 それとも車輪に轢かれて五体を切断され、バラバラになるのか……。
「……っ」
 ふと気づけば、さっきと同じようなことを考えていた。
 飛び込んだ瞬間のことを考えても、意味なんかないって分かりきってるのに……。
『まもなく二番線に、普通新宿方面行きの電車が参ります。危ないですから黄色い線の内側まで、お下がり下さい……』
 女の人の声でアナウンスが流れた。私はそれをきっかけに、ゆっくりと立ち上がった。
 黄色い線まで歩いてみる。
 一度飛んでしまえば、飛び降り自殺よりは早く意識を失えるはず。
 まだ姿は見えないけど、電車のゴーッという音が聞こえ、鼓動が早くなる。
「っ……」
 ここからジャンプすれば、ちょうど入ってきた電車に撥ねられる。
 私はぐっと踏ん張って、飛び込む体勢を作ろうとする。
「えっ……」
 そのとき足下で何か音がした。
 艶のある四角いプラスチック。私の携帯電話が落ちていた。
 慌てて拾い上げると、ストラップについていた二つの人形が、手の平の端に触れた。
「あっ……」
 アニメ『虹の向こうの街』ピンクの髪のミルとブルーの髪のラグ。ディフォルメされた可愛らしい人形。
 その大きくて無垢な瞳を見たとき、なぜか切なくなって胸がギュッと締め付けられた。 私は咄嗟に横を向いて、何も考えないようにした。目頭が熱くなってきたのだ。
 とても大切なものと、別れなければならない気持ちになっていた。それはアニメのキャラクターとかではなく、アニメや漫画そのものとの別れだ。
 今更どうして、こんな気持ちになるのよ……。
 こんなもの今の私に、何の意味もないはずなのに……。
 予想外の心の戸惑い。しかしそんなことには関係なく、電車はすごい音を立てて、ホームに滑り込んでくる。
 気づけば目の前を金属の壁が横切り、その風圧で前髪が揺れていた。
「ねえあなたどうかしたの?」
「えっ……」
 私の様子が、よほどおかしく見えたのだろうか。
 うちのお母さんくらいのおばさんが、心配そうな顔をして私をのぞき込んでいた。
 もう電車は完全に停車してドアが開き、中から乗客が降りてきていた。
「どこか具合でも悪いの?」
「何でも……ない……です」
 乗り降りする客で混雑する中、私は呆然と立ちつくし、俯いたまま首を振っていた。
 誰とも話なんかしたくない。第一一言で語り尽くせることじゃない。
 アルバイトをしてたとき、言われたことが引き金だといっても、結局は何年も苦しんできた蓄積なのだ。
 見ず知らずの人に話せるはずがない。話したところで、今までのこと全てが解決するわけじゃない。
「あ、ちょっと……」
 私はおばさんに背中を向けて、階段を駆け上がった。
 死ぬと決めたのにどうして……。
 自分でも理解できない自分の気持ち。私は焦燥感に苛まれ、居ても立ってもいられなくなった。

「はぁ……はぁ……」
 息を切らして自宅に帰ってきた。
 ドアに鍵をかけ靴を脱ぎ捨てると、廊下のクローゼットを開けて、アレを探した。
 確かここにあったはずと思っていたが、すぐには見つからず次第にイライラしていった。
 焦燥は強くなる一方だった。追い詰められたような気持ちになっていた。
 あの人が使っている軍手や園芸用のシャベルが出てきて、その辺に叩き付けた。
「……っ」
 程なくして段ボールの陰から、白くてつるつるしたアレが出てきた。
 ビニール製の荷造り紐。
 焦り続けていた心が、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻した。
 この方法なら……。
 確か脳への血流が悪くなって、意識を失うのに十秒くらい、その後心肺停止まで数分だと聞いたことがある。
 たった十秒黙っていればいいんだ。
 小さな輪を作って首にかけ、余った部分をドアノブに結ぶ。
 ドアに寄りかかり目をつぶって、身体を脱力させた。
「んっ……くっ」
 ロープがじわじわと喉に食い込む。次第に息苦しくなってきた。
 顔が熱を持ち、ふくらんでいるような感覚に襲われた。
 私は死ぬんだ。
 何も考えないで十秒過ごせば、つまらない私の十八年間が終わり、希望のない未来が完全に絶たれる……。
「……うっ」
 気が遠くなり初めて死を予感したとき、身体がビクンと震えた。
 霞んだ意識の中で、お下げ髪の頃の私が嬉しそうに笑っていた。それは初めて漫画を描き上げた日のことだ。続いて月例漫画大賞の応募欄を見て、投稿を決心した私の姿が浮かび上がった。
 私の気持ちが生と死の狭間から、現実に戻ってゆく。
 またダメだ。そう実感した。
「何で……死ねないのよ!」
 荷造り紐と首の間に指を入れ、掠れた声で叫んだ。
 自分の無様な声を自分の耳で聞いて、またやりきれない気持ちになった。
 死のうと思っているのに、せっかく死ねそうだったのに、どうして自分の描いたへたくそな漫画のことなんて考えるのよ!
 そんなこと考えたところで、何にもならないのに……苦しいだけなのに……。
 私は行き詰まってしまったことを、認めざろをえなかった。今までずっと保っていた心の均衡が、崩れ出すのを感じていた。
「ううっ……」
 壁にもたれかかったまま、横にずれるようにして力なく床に倒れた。
 感情を抑えきれず、冷たいフローリングに頬を押し当てたまま、嗚咽を漏らして泣いた。
 薄々気づいてはいた。やり方がまずいとか人を巻き込むとか、理由をつけて結局は死ねないでいる自分のことを……。
 死にきれないことを、認めてしまうことが怖かった。
 死ねないと認めた瞬間から、待っているのは発狂しそうなほどの、心の苦しみだけなのだ。
 現に今、形容のできない心の痛みが、激しく私を苦しめている。
 せめて一時でもいいから、意識がなくなってくれたら……。
 せっぱ詰まって懇願していると、チャイムの音が唐突に鳴り響いた。

「あ、水奈ちゃん。父さんと母さんいるかい?」
「えっ……」
 鍵を外しドアを開けると、スーパーの袋を持った中年のおじさんが立っていた。
 少し薄くなった髪、真っ黒に日焼けした顔と黒縁の眼鏡。
 親戚の勝巳おじさんだった。
「いないのかい?」
「あ、あの……今はちょっと……」
 なんだか急に現実へ引き戻された気がして、うまく言葉が出て来なかった。
「あ、そうなんだ。これうちの畑でとれたやつだから煮物にでもして食べてよ」
「は、はぁ……」
 おかしな返事をしながら、スーパーの袋に入ったキャベツやにんじんを受け取った。
 いつも勝巳おじさんが来るときは、何かしらおみやげを持ってきてくれる。
「来週じいちゃんの法事だから、それで会場どこ借りようかと思って、相談したかったんだ」
「そうだったんですか……」
 法事。もうそんなに経ったんだ。
 ようやく思考がまともになってきた。
 丈夫で病気知らず。いつも冗談ばかり言っていたおじいちゃんが亡くなったのは、去年の夏だった。
 病院ではなく自宅での突然の死だった。
「それにしても驚いたよなじいちゃんのこと」
「はい……」
「なんか気が抜けたような、急に元気がなくったようなそんな感じだったから、それがサインだったのかな……」
 おじいちゃんが死ぬ三ヶ月前、私はお母さんと一緒に、おじいちゃんの家に遊びに行っていた。
 おじいちゃんは縁側に座って、ぼんやりした顔をしてこう言った。
『じいちゃんみんな好きなこと、やり尽くしたっていうかな……力が出ないんだよ……』
 年だから認知症なんじゃないかって、親戚のおばさんが言っていた。でも私にはそうは見えなかった。
 ただ悲しそうではなかったけど、寂しそうに見えた。
 それが私が見た、おじいちゃんの最後の姿だった。
「あの……」
「ん?」
「おじいちゃん……好きなこと全部やり尽くしたって言ってました……」
「やり尽くした?」
「はい……」
「そうか……あの年まで生きると、そういうときが、来るのかもしれないなぁ……人間好きなこと全部やり尽くしたとき、死んでいくのかもしれないなぁ……」
 勝巳おじさんはしみじみとそう言った。
 私は改めて考えていた。自分はなぜ死ねなかったのだろうかと。
 勇気がないから? 弱虫だから? 死ぬのが怖いから?
 どれも当てはまるようで、当てはまらない気がする。
 死のうと思ってはいたけど、私の心は死にゆく者の心になれなかった。
 この世に未練があるからなのだろうか……。
 もしとかするとおじいちゃんのように、好きなことをやり尽くしていないからなのか。
 でも私に好きなことなんてそんなもの……。
 私は勝巳おじさんが帰ったあと、部屋に戻った。
 今の苦しみを和らげる方法があるとしたら、何かに没頭して思考を別の方向へ向けること……。
 机の上には描きかけの漫画の原稿が、手首を切ったときと変わらず、置いたままになっていた。

 次の日の夜十九時頃、お母さん達が帰ってきた。
 いろいろおみやげを買ってきたから、あとでおいでよとお母さんは言っていた。
 私はいつものように、あの人が寝静まった頃を見計らってリビングへ行った。
「あっ……」
 てっきり寝たと思っていたのに、あの人はまだリビングのソファに座っていた。
 私は瞬間的に不機嫌になり、すぐに踵を返した。
「待って水奈」
 背中にそう声をかけられ私は足を止めた。
 振り返ってムスッとした顔を向ける。
「……なにお母さん?」
 お母さんは何かを促すように、あの人を肘で突っついた。
 あの人が私の方を見たので、私はあからさまに目を逸らした。
「あ、あのな水奈……」
「……っ」
「実は精神科の武田先生と相談したんだけどな、今度熱海に引っ越そうかって思ってるんだ……」
「……!」
 一瞬誰に何を言ってるのかと思った。
 そのぐらい驚いた。
 ずっと私に話しかけることのなかったあの人が、私に向かって話していた。
 確かに話していた。
「向こうは空気も良くてのんびりしてるから、東京で暮らすより、お前の心に負担がかからないと思ってな。それで今回ちょっと見てきたってわけなんだ……」
「……」
「無理にアルバイトすることもないし、武田先生も是非って勧めてくれてな……父さん仕事は新幹線で通えばいいし」
「水奈さえよければ来年中にでもと、考えているのよ」
 お母さんがあの人を助けるように続けた。
 そう……。
 そうだったの、それで急に旅行なんて……。
 あの人はあの人なりに、私のことを考えていたのか……。そう思うと、ちょっと悔しい気持ちになった。
 もちろん全てを許せる気にはなれない。でもほんの僅かだけど、病気のことを理解してくれていたと認めるしかない。
「私……」
「ん?」
「私まだ東京に残って、やってみたいことがあるの……」
「やってみたいこと?」
「私の好きなこと限界までやってみたいの……」
「えっ!?」
 あの人とお母さんが、小さく口を開けたまま、顔を見合わせていた。
 無理もない。四年間も引きこもっていた私が、初めて積極的に何かをやってみたいと、言ったのだから。
 私の頭に何度も浮かんで、私をこの世にとどまらせたもの。
 それは漫画を描くこと。もっと漫画を描いて雑誌に投稿して、自分の力を試してみたいということ。
 私が死ねなかったのは、その願望を捨てきることができなかったからだ。
 もう腕が動かなくなるまで、好きな漫画を描いてみよう。
 それがいつかプロになれるのか、現実の厳しさを知って挫折することになるのかは分からない。アルバイトをしたときの、何倍もの困難が待ち受けているかもしれない。それでも構わないから、私はやってみようと思っていた。
★END★
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プロフィール

優妃崎章人

Author:優妃崎章人
■PNなど■
商業PN・優妃崎章人(ゆいざきあきひと)
同人PN・松永佳宏 (まつながよしひろ)
フリーシナリオライター・小説家
北海道旭川市在住

■仕事歴・小説などの出版物、著書■
パラダイム出版様より出版。アトリエさくら様原作『通勤痴漢電車アキバ行き』~女子校生に這い寄る無数の手~ ノベライズを担当

パラダイム出版様より出版。Softhouse-Seal様原作『魔物っ娘ふぁんたじ~』ノベライズを担当

パラダイム出版様より出版。May-Be SOFT様原作『へんしーん!!! ~パンツになってクンクンペロペロ~』ノベライズを担当

パラダイム出版様より出版。アイルチームドレイク様原作『恥感~少女は悦楽行きの電車に乗って~』ノベライズを担当

■仕事歴・シナリオ・企画など■
フレイルソフト様にて『隣の席のギャルピッチ』~僕は彼女のセックスフレンド!? シナリオを担当させていただきました。
http://www.frailsoft.com/

WHITESOFT様にて『さくらシンクロニシティ』
シナリオの一部を担当させていただきました。
http://white-soft.jp/

ANIM様にて『もしも用務員のおじさんが催眠を覚えたら…』
シナリオの一部を担当させていただきました。
http://www.hs-crowd.co.jp/anim/a_top.html

同人サークル・ソーラレイ様にて『オジサン泊めて 家出ギャルとのWINWINセックスライフ』シナリオ全て担当
http://www.solarray.jp/

アイル様にて『売淫令嬢~周芳院櫻子の罪穢~』シナリオ一部担当
http://www.ail-soft.com

サークルかぐら堂様にて『妹のオモチャにされてしまう僕』プロット作成・メインシナリオ担当
http://kagurado.net/top.html

アイル様にて『魔ヲ受胎セシ処女(おとめ)ノ苦悦2』シナリオ一部担当
http://www.ail-soft.com/

Norn様Mielにて『人妻柚希さんの筆おろしレッスン』シナリオ全て担当・演出指定
http://www.miel-soft.com/hitoduma/hitoduma_index.html 

HINA SOFT桃雛様にて『ママの運動会シナリオ一部担当』
http://www.hina-soft.com/ 

株式会社ネクストン・liquid様にて『催眠陵辱学園シナリオ一部担当』
http://www.tactics.ne.jp/~liquid/saimin/index.htm 

株式会社キューマックス・mini-mam様にて『女将静香』シナリオ一部担当
http://www.qmax.co.nz/mini-mam/okami/okami_top.html 

株式会社シュピール・ラブジュース様にて『辱アナ』
(企画書作成・キャラ設定・作画指定書作成・プロット作成・フローチャート作成・全シナリオ{全キャラ全シーン。テキスト量約1MB}を担当
http://www.love-juice.jp/product/ana/new_ana.htm

有限会社マリゴールド・アンダームーン様にて『D-spray』(子安愛、エッチシーン3つを担当しました)
http://www.marigold.co.jp/undermoon/OL/index.html

有限会社マリゴールド・ルネ様にて『女優菜々子』(メインライターとして、全キャラクターのメインシナリオと、調教パートの一部を担当しました。全体の七割半、テキスト量にして750KBほど)
http://marigold.kululu.net/lune/nanako/index.html 

その他、メーカー様のご都合により、公開できないお仕事歴有り。

■同人歴■ 
サークルくまくまかふぇ 同人ソフト・『ツインずテ~ル』企画・原作・全シナリオ担当・フローチャート作成
http://kuma2cafe.rejec.net/blog/

サークルくまくまかふぇ 『蛙の鳴き声』(企画・原作・全シナリオ担当)

■お仕事依頼など■
ゲームソフト企画制作及び、シナリオ執筆業務。小説執筆、その他企画制作など、承っております。サンプル作品などご希望の場合は、下記アドレスまで、お気軽にご連絡下さい。恐れ入りますが、全角の部分を半角に打ち直して、ご送信下さい。宜しくお願い申し上げます。

KIRIKO27@hotmail.co.jp

■お打ち合わせなど■
全国どこへでも、赴くことが可能でございます。こちらについても、お気軽にご相談下さいませ。

■著書・小説などの書籍■








■シナリオや企画を担当したゲームソフトなど■
『隣の席のギャルビッチ ~僕は彼女のセックスフレンド!?~』 ダウンロード:2016年04月15日(金) 発売予定!
























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